山口百恵さんは現在でも大変人気で、彼女をブログに取り上げる人は、
未だに大勢います。彼女の息子は父親の苗字で芸能活動をされています。
引退して35年以上が経ちますが、以前、人気が衰える気配は無しです。

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山口百恵(やまぐちももえ)さんプロフィール

目次

本名:三浦百惠
生年月日:1959年1月17日
出身地:神奈川県出身
身長:158cm
最終学歴:日出女子学園高等学校卒
所属:ホリプロダクション(活動時)

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今も語り継がれる伝説的存在の山口百恵さんは昭和を代表する芸能人で
必ず思い浮かぶスーパースターです。ネットで自身の生活スタイルを
宣伝するわけでもないのに、心のどこかにある特別な存在です。

引退して35年以上経っており、1990年代以降に生まれた方など、
名場面集で見るくらいの人でしょう。平成の人など、どれくらい
人気があったか実感しようにもできないのではないでしょうか。

 

この前テレビを見ていて百恵さん人気の凄さに思わず納得することが
ありました。18歳の子が彼女のモノマネで芸人をやっていたのです。
リアルな時期を全く知らないのにやろうと思える存在なんですね。

「スター誕生!」が芸能界デビューきっかけの百恵さんは実は審査員だった
阿久悠さんに「歌手は諦めた方が良い」と言われたエピソードがあります。
準優勝しているのに厳しいですね。でもこれ全否定の言葉じゃないのです。

 

歌手は諦めた方が、の前に「青春ドラマの妹役なら良い」との前置きが
あるのです。同い年の森昌子さんみたいな歌手になりたい、との言葉への
阿久悠さんのアドバイスで、芸能界に向いてないという意味ではないのです。

たぶん、森昌子さんとは違う魅力を山口百恵さんから無意識に感じ取り、
森さんとは違うスタイルになれ、というアドバイスだったのでしょうが、
微妙な表現なので、後年色々憶測を生み百恵伝説の一部になったようです。

 

「スター誕生!」後は同年齢の森昌子さん、桜田淳子さんと共に
「花の中三トリオ」と呼ばれ人気を博しました。当時は「○○トリオ」
というサブタイトルみたいな肩書が多かったようですね。

3人共、中三らしい清楚な魅力が人気でして、その中でも森さんは歌唱力、
桜田さんは溌剌とした雰囲気がオリジナルの個性として人気だったと
思います。百恵さんも当初は中学生らしい清楚さで売り出しました。

 

山口百恵さんの魅力は秘めたる魔性にある、とよく言われますが、
当時の事務所やレコード会社もそう考えたようです。2曲目以降を
現在では「青い性路線」と語り継がれる方向で売り出すのです。

この練られた戦略は「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲きます。
1970年代は見た目がセクシーな女性歌手が際どい歌詞、だったのを
年端もゆかない少女に際どい内容を歌わせるという斬新なものでした。

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この狙いは大当たりをし、百恵さんは絶大な人気を獲得しました。
幼くビジュアル面では純朴な少女というイメージの百恵さんの歌は
歌詞とのギャップと、ある種の背徳感で独特な人気となるのです。

一方で女優としての活動も開始、主演した「伊豆の踊子」の演技は、
高く評価を得ます。相手役は三浦友和さんで、その後も友和さんとは、
テレビドラマやCMでも共演し「ゴールデンコンビ」と呼ばれました。

 

百恵さんの女優活動は映画だけではなくテレビも有名です。ドラマでの
初レギュラー出演から親子役が縁で宇津井健さんとは親しくなり、公私共に
「お父さん」と慕い、結婚の式の仲人をお願いする仲になりました。

宇津井さんとの親子役といえばテレビドラマ赤いシリーズですよね。
「赤い迷路」「赤い疑惑」「赤い運命」で健さんと親子役をやられてます。
「赤い疑惑」「赤い衝撃」では三浦友和さんと共演します。

 

この赤いシリーズは6年も続き、百恵さんと言えば「赤いシリーズ」と
なりました。清楚な魅力を持ちながらどこか年齢よりも大人な雰囲気を
醸し出す、視聴者はそこに敏感に気づき、人気に火がついたのでしょう。

ブロマイド売り上げ1位、阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品で新境地を開拓、
「第29回NHK紅白歌合戦」での10代歌手の紅白の初トリ、多くの文化人に
現代を象徴するスターと語られた山口百恵さんは数々の伝説があります。

 

写真家篠山紀信さんは百恵さんを「時代が山口百恵を必要としていた」
と評し、「時代と寝た女」と称しています。天才写真家篠山紀信さんに
そこまで言わせしめた百恵さんは世間を驚かせるある発言をするのです。

1979年10月20日大阪厚生年金会館のリサイタルで「私が好きな人は、
三浦友和さんです」と恋人宣言を突如発表しました。今よりもアイドルの
男女交際は厳禁だった時代の勇気ある言動です。今でも恋人宣言はないかも。

 

その後三浦友和さんも「結婚を前提にして付き合っています」と
記者会見で語り、堂々と逃げない態度を表しました。2人共映画や
ドラマで恋人役をしていたので噂だけはいつもあったのですが。

噂を否定しつつ結婚が本当に決まるギリギリまで極秘裏に交際するのが、
平成の世でも普通である芸能界なのに、昭和の真っただ中に堂々と
交際宣言をした2人は本当に勇気があり相手を思いやっているのが伝わります。

 

恋人宣言から約4か月後の1980年3月7日に婚約発表をしますが同時に、
仕事は全面的に引退すると公表します。結婚はその年の11月でしたが、
それまでには一つ一つ仕事をこなし誠実な人柄を印象づけました。

百恵さん伝説で一番有名なのは10月5日の日本武道館での歌唱終了後の
ある態度でしょう。ファイナルコンサートでは、ファンに対して
自分の我儘を許してくれたことへメッセージを伝えた百恵さん。

 

最後の歌「さよならの向う側」が涙の絶唱となりました。その後に
ファンに深々と一礼をし、マイクをステージの中央に置いたまま、
静かに舞台裏へと歩み去るという印象的な行動をするのです。

マイクを多くのファンの目の前でステージに置いて立ち去る、この
行動に勝る言葉はどこを探してもないでしょう。この凛とした姿に
ファンは彼女の決意を見、結婚を祝福しようと強く思ったでしょう。

 

印象的なエピソードが多い為、長きに渡り芸能活動をしてきたように
思いますが、実はわずか7年半程しかされていません。その短い活動の
中で1970年代最もレコードを売り上げるという稀有な歌手だったのです。

あまりに熱狂的に時代に愛されたのが嫌だったのか、結婚式は主賓や
司会が著名人が多くいたにも関わらずテレビ中継をしない形で、
行われました。こういう姿勢が更に世間の心を掴んだことでしょう。

 

2人の息子の母親として暮らしている百恵さんは一貫して芸能界とは
距離を置いている為、息子さんが小さい頃は追いかけまわすマスコミや
カメラマンに苦悩する日々を送り、人権擁護局に助けを求めたことも。

結婚当時は百恵さんがスーパースターだった為に夫の三浦友和さんの
肩書は常に「山口百恵の夫」でマスコミはいたずらにそれを煽り、
暫くの間は面白おかしく占い師に離婚を占わせたりしていました。

 

確かにこの肩書は三浦さんを苦しめたかもしれませんし、百恵さんも
良い気分ではなかったでしょう。しかし三浦さんは地道に俳優として
活動し、現在では押しも押されぬ大物俳優になられました。

もう「百恵の夫」とは言われていません。今よりも芸能人の私生活を尊重する、
という意識が低かった昭和の時代、きっと2人は出会った頃の気持ちを
忘れずに幾多の苦難を夫婦として手を取り合って生き抜いたのでしょう。

 

しかし、あんなに売れていたスターの引退をよくも許したなあと思って
いましたが、引退されて全く表に出なくなっても彼女の楽曲を節目ごとに
出してレコード会社や所属事務所は発表し話題を振りまいています。

引退して顔も出さなくなっても商品価値がある、その確信があったかは
わかりませんが、潔く身を引いたことでイメージが保たれ現在も続く
人気につながったので我儘を許して良かったと思ってますよね、きっと。

 

家庭に入ってからはキルト作家として活動し、そのキルト作品が有名な
展示会に出品されることもあるそうです。20歳の若さで主婦は尊い仕事、
と発言されていたので楽しんでられる様子が伝わってきて素敵ですね。

お子さんの運動会や入学式に参加したりと主婦業を楽しんでいる
百恵さんですがマスコミ対策の為か周りの親御さんに混じり、
目立たないようにしているのか地味な印象の服装ばかりです。

 

目立たないならば子供の行事にどんな姿で参加しているのか、
伝わらないはずですが、普段の百恵さんの姿を狙って撮られた
写真の為知られているのです。折角目立たないようにしているのに。

 

夫婦仲の良さがにじみ出ている「現在」

お子さん2人も仕事を持つまでに成長された百恵さんの写真が時々、
週刊誌に載りますよね。静かにしてあげた方がいい気もしますが、
百恵さんの現在が気になる方は大勢いらっしゃるのでしょう。

そんな人気者の現在の姿を公開されている写真でみると夫の友和さんと
一緒にいる写真が多く現在も夫婦仲の良さが伺えます。子供が独立しても
仲が良いなんて羨ましい!と思う方、結構いらっしゃるのでは?

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若い頃に比べ少しふっくらとはしていますが、どこか昔の面影はあります。
ただ、1人で歩かれていては「あ!山口百恵さん!」とはわかりにくいかも。
三浦友和さんと2人揃って「あ、百恵さん?」くらいなわかりかたです。

結婚当初は友和さんの方が知名度が、などと言われていましたが、
2人してその評判を良い方向へと転換させていった結果でしょう。
百恵さんが現在も幸せそうなのは友和さんの頑張りのお陰ですね。

 

また友和さんの俳優としての道のりも百恵さんの内助の功あっての
ものだと思います。現在も続く仲の良さ、ただうらやむだけでなく、
理想の夫婦として学ばなければいけないかもしれませんね。

 

完全引退なのに「ブログ」の話題ですか?

ブログは誰もが気軽に使えるものです。誰もが閲覧できるので、
普通の人がある日突然人気ブロガーになったりしますよね。
芸能人の方ならば宣伝の一環でよく使われたりしています。

でも一切顔を出さないようにしている百恵さんなら、ブログに
手を出さないのでは、とも思いますが、もしかして、キルトの
作品をブログで紹介しているのかな?それとも日々のつぶやき?

 

と考えていたら、違います。ご本人のブログではありません。
現在も続く人気のせいで彼女を話題にしたブログが沢山あるので、
「山口百恵 ブログ」となっていただけでした。

長い間のファンがデビューから現在までを語るものから、リアルな
活躍期を知らない若い世代のブログまでと多々あり、芸能活動を
されていないにも関わらず、沢山のブログがあって驚きました。

 

長きに渡り活躍されている芸能人ならば、話題はいくらでも
あるでしょうが、引退して書くネタがないであろうに、各ブログからは
熱い想いがあふれ出、百恵さんの人気を再認識してしまうのでした。

 

「息子」の活躍を見ると芸能一家?

お母様の百恵さんが有名であり過ぎた為に幼少期はマスコミへは
かなり嫌な思いがあったのでは、と思うのですが、息子さん2人共、
芸能界へデビューし、現在も立派にご活躍をされています。

長男の三浦祐太朗さんは、シンガーソングライターや、俳優として、
次男、三浦貴大さんも俳優として活動しています。特に昨今は弟さんの
貴大さんの活躍が目覚ましく、目にされる方も多いのではないでしょうか?

 

息子さん2人共俳優さんをするだけあってとても素敵でカッコいいです。
弟さんの方がガッチリ系かな、と思います。売れ方もお母さんの時の
ような熱狂的な異常さがないので息長く活躍されると思います。

百恵さんは引退したとはいえ、元スーパースター。友和さんも有名な
俳優さんで、息子2人も芸能界で活動しているならば、世でいう芸能一家とは
形が少々違いますが、変則的な芸能一家といえるのではないでしょうか。

 

しかし、引退後マスコミには散々嫌な目に遭い、苦悩された話を聞きますのに
よく息子さんの芸能界デビューを許しましたね。デビューにあたって家族の
葛藤などは聞こえないので、子どもの自主性に任せているのでしょうか。

幼少時に嫌な目に遭い、母親が体を張って守ってきたのを見ているはずの
息子達ですが、百恵さんの育て方が上手で真っすぐに育ったのでしょう。
可能性を崩すことなく立派な息子を育てた百恵さんに感心するばかりです。

 

語り継がれ、伝説へと昇華した「引退」

引退といえば有名なファイナルコンサートでマイクを置くシーンです。
このような印象的な終わり方だったから、彼女の引退は伝説へと
昇華したのでしょうか?誰がやっても語り継がれたと思いますか?

もうステージに上がらない、という強い想いとファンへの感謝を込め、
ステージにマイクを置いて去る、というパフォーマンスは、その時代を
生きた人々の心に染み込み未だに語り継がれ続けています。

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ファイナルコンサートの前年に友和さんとの結婚を前提の恋人宣言を
したので、その宣言以降はこのファイナルコンサートに向かって、
ただひたすら全力投球をしていくという活動でありました。

だからそのマイクのシーンは歌手への決別、結婚への前進とみんな
捉え、彼女を祝福したことだと思います。直接の引退理由は確かに
結婚だと思いますが、本当に結婚だけが理由なのでしょうか?

 

現在は一度結婚で引退をしたとしても子育てが一段落すると復帰を
される方は結構いますよね。そういう方々がいるので、百恵さんも
本人の意思に関わらず、復帰の噂が時々流れ、期待されたりします。

しかし、全く復帰する気配は無しです。なぜここまで百恵さんは、
引退にこだわるのでしょうか?結婚だけが引退の理由でしょうか?
実は、百恵さんは芸能界には未練がないタイプなのだそうです。

 

それならばなぜ中学生でオーディションに応募したのでしょう?
彼女が複雑な家庭環境で育ったのは彼女のエッセイで有名なので、
読んでいなくてもテレビでなんとなく聞いた方も多いでしょう。

歌手になったのはその複雑な生い立ちの為、母や妹を楽にさせたい、
稼げる仕事をしたい、と思った結果の応募でした。そういう理由ならば、
未練のないタイプでも芸能界は選択肢として魅力的なものです。

 

家族を支える、その想いがあってこそのあの異様とも思える人気だった、
と思います。活動の殆どが10代であり、清楚な美しさを持っていたのに、
大人の色香を感じさせるすごみはそこから出ていたのでしょう。

自身の育った家庭環境が辛った百恵さんだからこそ、20歳という若さで、
主婦への憧れを語り、結婚=引退へとつながったと思います。友和さんも
その想いをしっかり受け止めたのだから並みの器じゃありませんね。

 

デビューから引退までの芸能活動期間は、わずか8年弱ということが、
信じられない程の強い印象を残し、結婚&引退した百恵さん。その時、
21歳だったと考えると信じられないほどの落着きと魅力がありました。

元々年齢からは考えられない大人の色香を持ってはいましたが、引退の
頃のあの魅力には一つの使命を全うし、自分の全てを受け入れてくれる
稀有なパートナーが見つかった喜びも加わっていたように思います。

 

2人の挙式は大規模だったのにも関わらず、テレビ中継されませんでした。
現在のタレントや有名人の結婚式を中継したがる風潮からは考えられない
ことですね。しかしそんな話があったと思っても断ったと思います。

三浦友和さんという稀有なパートナーと出会うことにより、本当の幸せを
見つけた山口百恵さんの引退は結婚が理由であり、理由ではない、という
深い意味が隠されているような気がしてしょうがありません。

 

だからこそ彼女の引退は伝説へと昇華し、山口百恵伝説の最大の見せ場とも
なったのだと思います。まだ20代になったばかりの少女と言ってもよい、
女性がそこまでできるとは。山口百恵さんの魅力は計り知れません。

アイドルとして歌手としての活動からも引退後の結婚生活からも
どことなく生真面目な彼女を感じてしまいます。芸能界の時も
引退の後も自分の家族の為に一生懸命に生きてきたのでしょう。

 

引退直後の熱狂的な復帰へのラブコール、デビュー○年、引退○年と
節目毎に過去の作品からチョイスされ売り出されるものが出る度に
ブームが起こり復帰が噂され心休まる日が少なかったと思います。

そんな中、子育てを全うし、キルト作家としてもご活躍される、
山口百恵さんには本当に頭が下がる思いです。夫婦2人の生活を
楽しまれる現在が一番心穏やかな時なのではないでしょうか。

 

表面だけみれば歌も映画もドラマも関連商品も大ヒットと
幸福だけしかない人生に見えますが、友和さんとの結婚生活が
一番幸福なのでは、とみなさん感じませんか?

10代の頃の思いつめたような大人びた雰囲気の表情もとても素敵ですが、
夫婦2人で歩いているあの明るい表情の方が「人間・山口百恵」としては
素敵だと思います。どうか末永くお幸せでいてください!

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