小堺一機さんの酢生姜の実験は驚愕でしたね、今後も続ければ病気の
心配もないでしょう。息子さんもごきげんようギャラも立派であると
評判の彼はもう怖いものなし、といったところでしょうか。

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小堺一機(こさかいかずき)さんプロフィール

目次

本名:小堺一機
生年月日:1956年1月3日
出身地:千葉県市川市出身
身長:165cm
最終学歴:専修大学経営学部卒
所属:浅井企画

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「ごきげんよう」がとうとう終わってしまいます。この番組は見ても
見なくてもずっと続いているという感想を持っていたもので、終了は
さみしいです。でも形あるものは終わるのですから仕方がないですね。

今ではお昼の顔としておなじみとなった小堺さんですが、下積み時代は
結構苦労しており、師匠の萩本さんの精神的に厳しい指導を乗り越えた
のが現在の成功で、見た目より昔風な修行時代だったのですね。

 

若い頃の苦労があるからこそ、小堺さんは毎日のようにテレビ出演されても
威圧感のないまま有名人で活躍されているのでしょう。相方の関根さんも、
彼と同様に苦労して成功されている、嫌味のない人気芸能人ですよね。

相方と言うより、関根さんと小堺さんは親友という関係かもしれません。
さて長年昼の顔だった「ごきげんよう」は「いただきます」から
続いた、ゲストを上手に活かす人気トークバラエティでした。

 

番組の初めは生放送だった為にそうでなくなってから、放送時間帯に
外にいると声を掛けられ、タクシー運転手にスタジオへ送ろうと声を
掛けられたと言われてる毒のない愛されるキャラクターであります。

幼少時に浅草の空気に包まれて育った為に芸や演技への素養があり、
素人コメディアン道場のチャンピオンになったり、勝アカデミーの
研究生になったり、技芸を磨き続ける地道な努力を続けてきました。

 

師匠の厳しさへのうっぷんをディスコで晴らしたこともあるそうです。
テレビからはうかがえない苦労を沢山したはずなのに、「ごきげんよう」
での司会からはどんな場面も嫌味なくこなす名司会ぶりしか見えません。

「ごきげんよう」も長寿番組でしたが、関根勤さんと共に、務めた
ラジオ番組「コサキン」シリーズも深夜番組では驚異的な27年半という
長寿番組でした。一機さんの持ち味とは飽きの来なさ、なのでしょう。

 

少し話がそれますが彼の父、秀雄さんは、寿司職人です。民間人初の
南極越冬隊員です。民間人なのに越冬隊員に選ばれるのだからきっと
代表として選ばれ位腕の良い職人さんとして有名だったのでしょう。

一機さんはテレビの世界へと進んでしまいまいしたが、ゲストの
トークを引き出す腕は一流と評判です。父親の寿司職人のプロ
意識は仕事こそ違いますが、確実に彼の中に息づいているのです。

 

ただし「人畜無害」「当たり障りの無い」は「テレビでの顔」で、
自身の舞台やラジオ番組、夜の店では毒舌や辛辣発言も出すので、
それを「ブラック・コサカイ」と爆笑問題などは名付けています。

映画好きや、無類の服好きで有名、その反対にスポーツ音痴も有名な
小堺さん。関根さんとは事務所の先輩でありますが、親友として仲が
良いのは有名です。また明石家さんまさんとの仲の良さも有名です。

 

顔が20代の頃から老けないのに対して髪の毛の方は30代から周囲に
必ずいじられるアイテムとなってしまった程の量の減り方です。
お陰で60歳である現在も年を取った、というイメージはないです。

 

驚異の結果「酢生姜」

スポーツに興味のないことで有名な小堺一機さんはジムで多少の
運動は健康管理の一環ですることはするらしいのですが、世の熟年の
男性同様、運動量は足りておらず、血管の老化を指摘されていました。

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そんな彼は「酢生姜」の実験にピッタリだったのでしょう。冬の老化を
防ぎ、10日間で若返りが可能な酢生姜の効果を、サタデープラスという
健康情報番組の実験モデルとして検証をすることになりました。

 

カロリーは血管年齢が+14歳も老化した74歳という衝撃のデータから
10日間、酢生姜1日30gを普段の食事に混ぜて食べ続けるだけという
簡単な実験を行ない、血管年齢を57歳と-17歳も若返せたのです。

この結果には本人も、うれしく驚いていましたが、テレビ的にも世の
不規則な生活を送る人々にもうれしいニュースだったでしょう。弁当や
パスタ、お吸い物などに混ぜるだけの簡単な健康改善方法です。

 

酢生姜の作り方はネットで検索すれば簡単に入手でき、誰もが真似を
しやすいものです。さあ、興味を持たれたら、すぐにでも「酢生姜」と
検索して明日からでも手軽な健康法として実践をしてみてくださいね。

 

ストレスと予防に努めている「病気」

48歳でがん手術をした小堺一機さん。術後は無事「ごきげんよう」の
生放送で復帰しましたが、その時から、髪を白く染めました。それまで
黒髪で薄毛をいじりの対象としていたので皆さん驚いた趣向でした。

今では金色の頭髪がトレードマークだし、エネルギッシュな存在で
がんという病気だったことも忘れられてはいますが、月1の定期健診、
PET(陽電子放射断層撮影)を定期的にし、予防に努めています。

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また病気になってからは禁煙した、と言われていますが本人は、
無理にそうしたわけではないと言っており、病気に一番良いのは
特別なことは何もしていない、ストレスをためないことのようです。

たばこもその場が盛り上がった時は1本ほどもらいたばこもすることが
あるそうです。病気の時は周囲の励ましが本当にありがたかったそう
なので仲間と楽しむことも病気の再発の予防につながるのかもしれません。

 

病気はひげ剃時に発見し、直ぐに病気ががんとわかり摘出手術も成功と
彼の場合は幸運が重なったというのもあります。しかし、その幸運だけに
すがらず、定期検診を怠らないのが一番立派な行動だと言えるでしょう。

 

フリーアナウンサーの「息子」

もう奥様方には「しょうちゃん」でおなじみでしょう。彼の息子は
小堺翔太さん。フリーアナウンサーで、2006年からエフエム世田谷で
大学生時代から番組のDJを務めていました。よく似てらっしゃいます。

主に首都圏ローカル局での活動が中心ですが、しょうちゃん、の名前で
「あさイチ」のリポーターとして全国をまわる姿ですっかりおなじみに
なりました。NHKつながりで「軍師官兵衛」にも出演してましたね。

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フリーアナウンサーになったのはお父さんの一流トーク術の血が
息子にも流れていたからでしょうか。でも大学在学時は芸能界へ
進むつもりはなく、4年になってその気になったという話です。

いったいどうやって息子の中の司会者の父から受け継がれた血が
目覚めたのでしょうか。息子のレポーターぶりは父親譲りの
柔らかさがあり、結構朝のイメージに合っているように思えます。

 

驚異の総額「ごきげんようギャラ」

小堺一機さんと言えば「ごきげんよう」、「ごきげんよう」といえば
小堺一機と常にセットの存在だっただけのことはあり、31年間続いた
この番組で稼いだ「ごきげんようギャラ」の総額は20億円だそうです。

雰囲気が親しみやすい彼がそんなセレブだったのか、と驚いた方が
ほとんどで、やっかみも入っているのか「ごきげんようギャラ」が
なくなったら生活はどうするのか、と囁かれているようです。

 

番組終了は「ごきげんようギャラ」の終了につながるから彼に大打撃に
なるはず、と言われているようですが。確かにここまで看板になった
番組がなくなるのは精神的にも金銭的にもきついかもしれません。

ただ、それだけ稼がれたのなら多少の預貯金があって、隠居生活も
出来そうな気もします。映画などの趣味もあるんですし。ただその
趣味が彼のセレブ生活を苦しめる原因になるのでは、と言うのです。

 

お金のかかる趣味ばかりなので生活を変えることはできないという、
余計なお世話的な「ごきげんようキャラ」への心配が、世間では
言われているようです。確かに無収入近くには一旦なるみたいです。

ただ今後は関根勤さんとのコサキンコンビで仕事の巻き返しをする、
との噂もあるので、リッチな生活云々は別として彼の芸を見れるなら
趣味の維持の為にも新規の仕事開拓も頑張って欲しいものです。

 

人の好い笑顔でお茶の間の顔として存在した小堺一機さんの番組は
終わりますが、もしかするとこれは新たな「小堺一機」誕生の一歩、
となるかもしれません。今後が大変楽しみなのであります。

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