島田紳助さんは現在でもその名前がよく出ますよね。名物番組で
共演した石坂浩二さんの窮地にミヤネ屋でコメントを発表しました。
それは名言となり世間に訴える手立てとなったのでしょうか。

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島田紳助(しまだしんすけ)さんプロフィール

目次

本名:長谷川公彦
生年月日:1956年3月24日
出身地:京都府京都市南区出身
身長:170cm
最終学歴:京都学園大学中退
所属:吉本興業(最終所属)

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B&Bに憧れ、松本竜介さんという相方を得てからの島田紳助さんは、
漫才コンビ「紳助・竜介」での髪型のリーゼントとツッパリ漫才が
若い男性を中心に受け段々とテレビに進出していきました。

「ひょうきん族」ではコンビでの出演もありましたが、ソロでも
出たりと様々な形で出演し、いつの間にか紳助さんだけの出演が
増え始めました。彼単独での面白さが世間に受け始めたのです。

 

中高校生の頃のやんちゃは有名ですが、その頃から彼の研究熱心は
発揮されており、おもろい不良についての研究をしたこともあります。
その研究熱心さは受験勉強にもつながり、大学にも合格できました。

深く考えて合格をもぎとったはずの大学を入学後1日も通わずに中退。
将来の夢は寿司屋か競艇選手か漫才師だったそうですが、やんちゃな
彼が大学に受かって両親はホッとしていただろうに少しお気の毒です。

 

折角入った大学に通わず、18歳で芸能界入りした紳助さんですが、師匠の
鶴の一声で決まった「紳助」というこの芸名が候補の中で一番嫌だったとか。
その芸名を聞いて笑った同期がいるのですが、杉本高文さんという方です。

杉本高文さんって・・。すぐピンと来ませんか?それじゃ売れないと
からかった杉本さんが紳助さんの後にもらった芸名は「明石家さんま」。
2人して自分たちの芸名を笑いあった自虐の笑い話として有名です。

 

さんまさんと紳助さんの仲の良さが伝わる心温まる話ですが、実は
紳助さんはさんまさんに漫才コンビの相方を頼んでいます。しかし、
さんまさんは首を縦に振らず、紹介したのが竜介さんでした。

結局「紳助・竜介」は解散しますが、このコンビが結成されなかったら、
紳助さんの芸能界での成功は始まらなかったので、さんまさんには
感謝しているでしょう。大切な友人、いや親友なのだと思います。

 

売れない頃から綿密な研究をノートに整理したり、劇場に通い漫才を
ライブで感じ取るなど、学生時代の研究熱心さは相変わらずで、1人で
活動するようになってからもその学ぶ姿勢はブレることなく続きました。

日本テレビ「歌のトップテン」で一緒に司会をした和田アキ子さんから、
紳助さんは司会者の心得を学びます。これが司会者としての基本になり、
その後の紳助さんの仕事の方向性を決める大事なものになりました。

 

1990年代以降は、ジャンルを問わない活躍の彼に「サンデープロジェクト」の
司会起用の話が舞い込みます。芸人という目でまだ見られていたので不安視する
空気が強かったのに起用後どんどんその評判が覆されていったのを覚えています。

この番組は14年も続き、彼のその後の方向性を変えます。「芸人島田紳助」が
立派なコメンテーターに生まれ変わったのです。この番組のファンの親戚が
研究熱心さに感心していました。彼の地道な努力は世間にも伝わったのです。

 

また司会以外でも若手や素人を発掘する才能があり、彼に見出され、
人気を上げたり、活動の可能性が拡がった芸能人も多数存在します。
そのノウハウを生かしてプロデュース業にも進出していきました。

吉本興業のお笑いコンビによるアイドルユニット「WEST SIDE」などは、
関西圏では他の追随を許さない人気グループへ成長させました。彼の
手腕は「M-1グランプリ」という若手漫才師の目標につながります。

 

また作詞家としての活動も大人気で、Paboや羞恥心といった、
ユニットをプロデュースするだけでなく、カシアス島田名義で
作詞活動を行ない曲を提供し、彼らの人気を盛り上げました。

漫才師から司会業、プロデュース業と広がる紳助さんの才覚は、
実業家へも拡がり、本名を社名に冠して飲食店経営を展開、
芸能人の片手間としてではなく実業家として成功をしています。

 

全てが順風満帆、紳助さんの前に挫折がないと思われ始めた頃、
少しずつ、異変が起こります。吉本の女子マネージャーとの確執で、
2004年10月から2005年1月までの間活動を休止する騒ぎになりました。

記者会見では紳助さんがひたすら謝罪を取る形を通したので、上下関係の
厳しい中で若い女性の至らなさと彼の行き過ぎのどちらが原因かは不明な
ままですが、2011年には和解が成立しこの事件は終止符を打っています。

 

その後悪い噂が流れ、芸能界引退が自分としてのケジメである、
と記者会見を開き、引退し現在にいたります。涙の引退会見は世間の
批判を浴びましたが、多くの知人が彼への惜しむ声をあげています。

義理堅い紳助さんは自らがボクシング経験があることからボクシングの
地位向上を目指し、世界王者の方などとの交流を大切にしてきました。
この噂はその義理堅さゆえに引き起こしされた事件でした。

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義理堅さでは芸能界でも同じで人望のあった彼への引退を惜しむ声は
強かったのですが、世間への影響力を考えると、人気の大きさからも
マスコミの批判、追及は普通よりも厳しくなっていたかもしれません。

批判を受けましたが、所属の吉本の社長まで復帰を望む声をだしました。
事務所が所属タレントへの肩入れを世間の批判を受けるのも構わず、
発するのはそれだけ彼への信頼が凄かった、ということなのでしょう。

 

良い面でも悪い面でも大変印象の強い島田紳助さんは早々に、
復帰するのではと言われ続けていますが、現在も復帰はされず、時々
コメントなどは出しますが、顔を積極的に出すことはありません。

 

引退に動きあり?「現在」の仕事の行方

作詞家として仕事復帰か、などと噂も立ち、芸能界復帰が囁かれては
その噂が消える紳助さんですが、経営している料理店も好調なので、
芸能界以外での成功もあり、復帰の可能性はないとのことです。

芸能界引退当初は別荘を構えていた沖縄の宮古島へ移られましたが、
今はハワイのコンドミニアムで悠々自適に暮らしています。黒髪を
ロングにして昔の印象とはガラリと変わり今を楽しんでいる風です。

 

超高級物件のコンドミニアムを相場より安く購入したとのことで、
不動産目的かなどと言われた紳助さんですが、ハワイでの彼の
様子からは南国の生活を楽しんでいる雰囲気しか伝わりません。

しかし未だにダウンタウンの松本さんは自身の番組で時々、彼への
復帰希望とも取れるコメントを出しており、慕っている様子を
見せています。さて、紳助さんの心のうちはいかばかりでしょうか。

 

 

ネットで話題だった「石坂浩二」の番組引退に対して

ハワイでの生活が楽しすぎて芸能界復帰などないと言っていた
島田紳助さんにある動きがありました。長年番組で仕事を一緒に
してきた石坂浩二さんに対してのコメントを発表したのです。

石坂さんとは「開運!なんでも鑑定団」で共に司会を務めており、
2人の掛け合いが楽しく美術品や骨とう品の価値が学べてとてもよい
コンビでした。その番組から石坂さんが卒業するそうなのです。

 

特に円満な番組卒業ならば良かったのですが、前々から2年以上
番組で石坂さんの発言がない、わざとカットされているのでは、
確執からの卒業か、と騒動になっており、注目されていました。

この番組スタートで、紳助さんは成功の為には石坂さんが必要、と
自分の出演料を折半してまでもお願いしたという経緯があったので
石坂さんは彼にとってかなり大切な人であると常々語られていました。

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その番組を石坂さんが円満ではない形で卒業することを残念に思い、
紳助さんはメールでコメントを発表したのです。もしかすると、
頼んだ自分が先に降りたという罪悪感もあったのかもしれません。

石坂さんなしではあの番組の成功はなかったとし、自分だけでは、
単なるバラエティーになっていた、石坂さんが品位と格を番組に
付けたと、番組における石原さんの多大な功績を称える内容でした。

 

テレビ東京はネットでの噂を否定し石坂さんは同番組を卒業はしても、
BSジャパンの新番組で鑑定団のBS版の番組の司会を務めると、
発表しています。ハワイの紳助さんの想いは届いたのでしょうか。

 

なぜ「ミヤネ屋」でのコメント出演だったのか

顔を出さないとはいえ、今回の石坂さんの騒動に何故紳助さんは、
コメントを出したのでしょう?実はこれは、長年の付き合いがある、
芸能レポーターの井上公造さんが得たメールの内容だったのです。

 

井上さんは紳助さんに今回の件について友人の立場から、メールで
回答を依頼しました。それを「ミヤネ屋」でコメントとして、司会の
宮根誠司さんに読み上げてもらう形をとったものだったのです。

少しでも動きがあると復帰への足掛かりか、と世間が騒ぐので
「ミヤネ屋」へのコメント出演は話題となりましたが、本人が
望んで売り込んだのではなく、井上さんの判断だったようです。

 

尊敬する石坂さんの窮地を考えると居ても立っても居られない、
という心境の時に井上さんが仕事の勘も働かせつつ、友人としての
立場からコメント要請をした、というのが本当のところでしょう。

 

紳助さんの数々の「名言」

引退がダークな噂によるものだったのにも関わらず彼の発言は、
人々の心をつかみ、感動や心への温もりをお茶の間に与えました。
彼の名言は、なぜそれ程までに我々の心をとらえるのでしょう。

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引退しても彼の名言を取り上げる場所は多く、アラサー男女に名言を
リサーチしてみたり、心掌握術が人気心理学者によって本になっていたり。
昔の言葉なのに今なお名言として古びることなく取り上げられています。

 

彼の名言を取りあげる場合は机上の学問としてよりも社会では、
世の中で生きていく為には、といった実学的な観点から名言として
取りあげる切り口が多いのでみんなが理解しやすいように思えます。

現実を見ながらも内面では自分なりにかみ砕き、しっかりと勉強を
していた紳助さんならではの言葉だからこそ、それらは名言と呼ばれ、
リアルに彼を体験していない世代にも受け入れやすいのかもしれません。

 

 

成功というものは常に黒い噂を呼び、その黒い噂をどう上手く断れるかで
長い人生が決まるものです。しかし渦中にいる場合は現状ははっきりと
わかることが少なく、見極めはその時の運で決まるものなのかもしれません。

打つ手打つ手が派手な成功を納める為、わが利益の追求ばかりをして、
足元をすくわれたかに見える紳助さんですが、実は多くのタレントの
プロデュースを行った理由は次のような考えからだと引退時言ってます。

 

芸能界での成功は1000分の1の可能性であるが、自分の関わった人間は
是非世に出したい、なぜなら、それで自分も幸せな気持ちになるからだと。
自分の幸せを周りに還元する発想は高潔な政治家のようにも感じられます。

島田紳助さんの功績は多く、それ故振り返る出来事があまりに多すぎました。
しかし、奥が深く真実はどこにあるのかに行き着くのは本当に難しいと
感じます。暫くは彼の動向を静かに見定めていくしかないのかもしれません。

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