坂本龍一さんといえば数々の名曲で世界的に有名な音楽家です。
世界的に有名な坂本龍一さんの娘や嫁ってどのような人?
教授とは・・

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坂本龍一(さかもとりゅういち)プロフィール

目次

本名:坂本龍一
生年月日:1952年1月17日(63歳)
出身地:東京都中野区
身長:170cm
最終学歴:東京藝術大学大学院修士課程卒業
所属:commmons(エイベックスグループとともに設立した新プロジェクト)

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坂本龍一さんがピアノを習い始めたのは「ピアノを習うのが当たり前」
の幼稚園に通われたのがきっかけでした。10歳から藝大の先生に、
ピアノを習い始めますが、その頃はあまり熱心ではなかったようです。

14歳の頃に「自分はドビュッシーの生まれ変わり」と信じた為に、
芸術への道に目覚めます。詳細はわかりませんが、この時、
目覚めなければ今の坂本龍一さんはいなかったので良かったです。

 

名門都立新宿高校では学生運動に明け暮れていましたが才能があった為、
東京藝術大学に進学します。藝大時代に色々な出会いがあり、
院の頃スタジオミュージシャンとして活躍されます。

様々な方々の楽曲にキーボードなどで参加していくうちに、
縁が拡がり細野晴臣さんと出会い、高橋幸宏さんと共にYMOを結成。
ワールドツアーを2回も行うなど、爆発的人気を得ます。

 

その後映画「ラストエンペラー」に参加しゴールデングローブ賞を、
日本人として初受賞。アカデミー賞作曲賞も受賞され、
映画音楽作家としての地位を確立されます。

日本からニューヨークへ仕事の拠点を移し活動されるようになります。
社会活動にも積極的で堂々とご自身の意見を言われる方のようですし、
音楽性も幅が広いので、日本にとらわれない活動がお似合いですよね。

 

2014年7月10日、中咽頭癌になり、療養に専念するために、
コンサート活動などの中止を発表されました。2015年の映画、
「母と暮らせば」の音楽で仕事復帰が明らかになりホッとしました。

世界的に素晴らしい才能に恵まれた坂本龍一さん。
輝かしい実績が沢山ありすぎて、わからない部分も。そんな坂本龍一さんの
色々な面をを探っていきたいと思います。

 

名曲の数々

どこをとっても名曲だらけな感のある坂本龍一さん。
これが名曲だ、と言い切るには素敵な曲があり過ぎますが、
せめて一部でも紹介したいと思います。

名曲の最初にあげるとすればYMOの時の曲、爆発的人気を博した、
「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」ではないでしょうか?
YMOの出現によりどれほどのミュージシャンが影響を受けたことか。

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1979年12月、アレンジを手掛けたサーカスのシングル、
「アメリカンフィーリング」も日本レコード大賞編曲賞を
受賞されているので、これも名曲と言えるのでしょう。

次にあげるとすれば名曲は忌野清志郎さんと組んだシングル、
『い・け・な・いルージュマジック』でしょう。これは、
資生堂’82春のキャンペーンソングとしてヒットしますが、
TVでどぎつい化粧の男性同士がキスをするという過激なものでした。

 

「戦場のメリークリスマス」、「ラストエンペラー」での
映画音楽なども世界的に有名です。これらを名曲と言わずに
なにを名曲というのか、と言っても過言ではないと思います。

さて、坂本龍一さんは、山田洋二監督の「母と暮らせば」、
ディカプリオ主演の「レヴェナント:蘇えりし者」の2つで、
音楽を担当されておりますね。どちらもヒットしそうな映画です。

 

デイカプリオ主演の映画は、第73回ゴールデン・グローブ賞にて、
坂本龍一さんは音楽賞にノミネート。2014年は療養中だったのに、
復帰後すぐに大きな仕事とはさすが坂本龍一さんですね。

これまでゴールデングローブ賞は2度受賞されています。
今回が坂本さんご自身3度目25年ぶりのノミネートです。
大変な快挙ですね。同じ日本人として嬉しい限りです。

 

山田監督も日本を代表する方ですし、きっとこの2つの映画音楽も、
必ずや名曲と呼ばれるようになるでしょう。坂本龍一さんの映画音楽は、
必ず名曲になると言っても過言ではないでしょう。素晴らしい才能です。

通な方から見れば上っ面のミーハーな名曲紹介だったと思います。
あまりにも実績が多くて名曲がこぼれてしまった感が否めません。
自分の無知を恥じながら名曲紹介は終わらせていただきます。

 

娘は何人?

才能も外見も素敵な坂本龍一さん。お子さんは4人いらっしゃるとか。
矢野顕子さんとの間に生まれた坂本美雨さんは「長女」とも「次女」とも、
書かれており、不思議に思っていました。本当のところ、娘は何人?

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実は坂本さん、矢野さんとの結婚前に学生結婚されていて娘が1人、
いらっしゃるのです。その方の娘を「長女」と言う場合、
坂本美雨さんは「次女」と紹介されているようです。

 

他のお子さんは2人とも男性なので、娘は何人?となると
学生時代の娘と矢野顕子さんの娘の2人になるようです。
娘の坂本美雨さんは歌手で活動、近頃ご出産を経験されています。

テレビ番組「おしゃれカンケイ」で愛人との間に次男の存在を認め、
長男と坂本美雨さんに「お父さんが好きな人はお母さんではない」と
告げたというエピソードも披露しています。

 

随分と酷いことをお子さん達に告白しているように感じますが、
坂本龍一さんは彼なりに子供と正直に向き合いたかったのでしょう。
坂本さんの真摯な気持ちはお子さん達には伝わったでしょう。

娘の坂本美雨さんと坂本龍一さんのご関係は悪くないようです。
傍から見るとわかりにくい話でもご家族とでは、
いや娘だからこそ理解できる話なのではないでしょうか?

 

嫁は有名なあの・・

龍一さんの4人お子さん達、お母様が違っていらっしゃいます。
学生結婚の方と1人矢野顕子さんとの間に2人、愛人の間1人。
というと結婚は2度になるので嫁は学生結婚の方と矢野顕子さんですね。

嫁の矢野顕子さんと言えば1981年カネボウのCM「春咲小紅」が超有名。
大ヒットしましたので、いまだに口ずさめる方もいらっしゃるのでは?
坂本龍一さんも才能あふれる方ですが、嫁の矢野さんもすごい方です。

 

15歳の時単身上京し、ジャズクラブ「青山ロブロイ」に初めて訪れ、
夜な夜なセッションを繰り広げていたところを業界人の間に注目され、
たちまち噂になりプロの道を選んだそうです。ものすごい才能ですよね。

YMOや様々な活動をされているうちに坂本さんと矢野さんは、
ご結婚され、矢野さんは嫁となりました。才能に一目惚れかしら?
嫁の矢野顕子さんは今もご活躍で、最近オトナテクノが話題になりました。

 

ニューヨークを拠点に2人と活動をされていた坂本龍一さんではありますが、
十数年の別居を経て、結婚25年目の節目に離婚されてします。
才能あふれる者同士、常人にはわからない事情があったのでしょう。

 

なぜ教授と言われるの?

「教授」の愛称で有名な坂本龍一さん。理知的でぴったりの愛称です。
しかし昔からそう呼ばれていなかったそうです。ではいつどうやって、
「教授」という愛称がつけられたのでしょう?名づけ親は?

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YMOのメンバー高橋幸宏さん、です。「教授」の誕生のいわれは、
初めて坂本龍一さんと高橋幸宏さんが出会った時、
坂本さんはまだ藝大の大学院生で、高橋さんは大変驚かれたそうです。

 

茶目っ気のある高橋さんは坂本龍一さんに「教授にでもなるの?」と、
発言された為、そのまま「教授」が坂本さんの愛称になったそうです。
理知的な坂本さんだからこそ定着した愛称でしょう。

高橋幸宏さんはYMOの再生(再結成)の記者会見でもYMOを
「世界に出かかってやめちゃったバンド」と表現されています。
抜群なセンスの高橋さんだからこそ「教授」は生まれたのでしょう。

 

病気を克服され、精力的に活躍される坂本龍一さん。
これからも更なる名曲を発表していって欲しいです。
今後もさらなるご活躍を期待したいと思います。

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